There's so many different worlds
So many different suns
And we have just one world
But we live in different ones
Dire Straits『Brothers In Arms』
一言で株式投資といっても、いろいろな手法があります。個別株式か投資信託か、アクティブかパッシブか、デイトレかスイングかバイ&ホールドか、順張りか逆張りか、ロングかショートか、グロースかバリューか、etc...
ときにはその手法は投資ではなく投機だ、という論争も見かけます。ただその定義の違いは、100人いれば120通りほど存在するようです。
私としては、これらの違いはどうでもよいものと考えます。グロースとバリューなんて単なるマーケティング用語にしか過ぎず、つまるところは同じではないか。価格しか見ていないのであれば、機を見てドカンとやろうがコツコツと積み立てようが、時間軸が違うだけで結局のところ投機なのではないか。
そんなところの区別化に拘泥せず、要は自分が納得する手法をとればいいだけです。
ただ世間一般的に「投機はよくないもの」という暗黙の了解めいたものがあるのが、ちょっと気になります。
なぜだろう。
なぜ人々は「それは投機だ」と言われると後ろ指さされたような気分になるのだろう。
どうして「コツコツ投資家の夕べの集い」と「コツコツ投機家の夕べの集い」があるとすれば、前者の方がまともに見えるのだろう。
この投機に対して含まれる蔑視めいたもの・・・これは投機筋のせいでモノ(例えばお米とか石油とか)の値段が上がった、とかいう語り口でニュースが流れるからでしょうか。それとも私の気のせいにすぎず、そんな風潮は存在しないのだろうか。
いずれにせよ、株式投資の市場を照らす太陽は、たくさんあるようです。市場そのものは一つですが。