2014年7月9日水曜日

タバコをめぐる冒険

以下の話は、私が幼少のころ、一緒にお風呂に使った時に聞いた祖父の話をもとに書いているので、いささか正確性に欠けるかもしれません。

私の 祖父は生まれつき病弱で、身体的に丈夫なほうではなかった。よって長らく召集を免れて、満州鉄道で測量関係の仕事をしていた。日中・太平洋戦争の戦局をよそに、ごっつう高価なドイツ製のカメラ(ライカのこと?)を片手に、わりあい牧歌的な毎日を過ごしていたらしい。

しかしいよいよ戦況が逼迫し、兵士の質なんぞにかまっていられなくなった日本軍に召集された彼は、ソヴィエトとの国境近くに赴く。直接戦闘に巻き込まれることはなかったものの、ひたすら行進、たこつぼ掘り、行進、塹壕掘り、行進、塹壕掘り、ときおり往復ビンタ、行進、たこつぼ掘り、行進、塹壕掘りの毎日を繰り返す。過酷な寒さの中、たこつぼの中で衰弱死した戦友もいた。

そんな軍隊生活では、食料とともにタバコも支給された。ノンスモーカーだった彼は、そのタバコを戦友に譲り、引き換えに食料をもらった。内心、こんな腹の足しにならないものを喜んで喫うなんて、こいつらアホやな、と思いながら。

ある日、彼の部隊に命令が下り、彼らは貨物列車に押し込められた。いつものことながら行く先の説明はない。数日間列車に揺られ、下車してみると、目の前に日本海が広がっていた。上官曰く、沖縄に米軍が上陸した、これから沖縄を奪還すべく逆上陸をする 、とのことである。

祖父は死を覚悟した。

乗船後、祖父は船底付近の大部屋で、ごろ寝状態でまんじりともしないで時を過ごす。突然、轟音と共に水がなだれ込む。悲鳴、怒号。米軍の潜水艦から魚雷攻撃を受けたらしい。無我夢中で脱出した祖父は目の前にあった漂流物にしがみつく。乗っていた船は跡形もない。漂うオイルに引火した炎で、海の上で焼かれる戦友がいる。

どのくらいの時間、海上を漂流していただろうか。同じく漂っていた仲間の声が徐々に少なくなっていく。絶望感。しかし幸いにも救助に駆け付けた味方の船に救い上げられる。意識が朦朧とし、自分がどういう状況に置かれているかわからない。と、口の中に何かが突っ込まれ、誰かが声をかける、ほら、これを喫え! 祖父は息を大きく吸い込む。ニコチンが彼の肺を満たす。頭がクラつく。そして彼は実感する。わしゃ、助かったど・・・わしゃ、生きとる。

祖父は、そのまま連れて行かれた済州島で終戦を迎えた。

無事復員した彼は、実家の日用雑貨を扱うお店を再開するが、その片隅にタバコのコーナーを設けた。それから8X歳(私ははっきり覚えていない)で肺気腫と診断されるまで、彼はタバコを毎日喫い続けた。わかば、ハイライト、晩年はキャスターマイルド。一人暮らしを始めた彼の孫(つまり私)に、よくタバコをカートンで送ったものである。

時代の波に押され、営む日用雑貨店だけでは生計を立てられなくなった祖父は勤めに出ることになり、祖母が縮小された店の番をすることになる。しかししょっちゅう散歩に出かけた祖母の代わりに孫の私がたびたび客の応対をした。マイルドセブンとセブンスターの区別が難しかったが、ちゃんと商品とお金を交換し、律儀に祖母に渡した。

いつしかその代金は私のポケットに留まり始め、やがてザクやゲルググといったガンプラに姿を変え、本棚に並びはじめることとなる。 

そのころ祖父たちは老人会の旅行で沖縄を訪れる。帰ってきた祖父は大興奮の面持ちで、孫たちに沖縄のお墓は如何に立派であるかを詳細に報告する。墓の向こうに広がる紺碧の海なんぞ、まるで目に入らなかったらしい。「老人と海」ならぬ「老人と墓」である。現実は小説のようにはいかない。

そのときの祖父のお土産は、彼が戦ったかもしれない沖縄戦の悲惨な写真記録集であった。

さて、私、できそこないの孫は、いまから5年くらい前に、テニスの合宿でフェデラーのようなプレーをした結果、大腿骨を陥没骨折した。たまたま自宅にPCを持って帰っていたので、しばらく自宅勤務になる。そうなるとタバコを喫う量に歯止めがかからなくなり、さすがに危機感を覚え、禁煙を決意した。が、まあ、これは蛇足である。

で、私は何を言いたかったのか。いささか強引に、敢えて恣意的に結論づける。

PEPの分析に書いたように、ハイン・ニョル氏クメール・ルージュからの解放を実感したのは、カンボジア国境を越えた時ではなく、タイの難民キャンプでペプシコーラを口にしたときである、と私は思う。

MKCの分析に書いたように、資本主義(および帝国主義)が発展した源は、毎日の食事にピリリとした何かを人々が欲したためだ、と私は思う。

そして祖父が洋上で九死に一生を得た時に味わったニコチンは、その後の彼の人生に大きなインパクトを与えた、と私は思う。

これらの、生きていくのに決して必要ではないばかりか、たいがいは体に害をあたえるもの、ひとつひとつは比較的ささやかなもの・・・炭酸飲料・スパイス・ニコチン・・・人間は、どうしてもこれらのささやかな刺激物無しではやっていけない存在らしい。たとえ住まいや車のグレードを落とすのに痛みを感じるとしても、これらの刺激物に対する渇望に比べれば、なんてことないんじゃないか、と私は思う。

まずは物事を簡単に考えて、これらのささやかな刺激物をサービスし続ける企業に投資の軸足を置いておけば、長い目で見て取り返しのつかない打撃を受けることはないんじゃないか、と思う今日この頃です。

情報開示:MO180株、KO430株、DPS95株保有

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