2024年10月25日金曜日

何が株価を形成するのか

「そうむきになるなよ」と私は言った。「女たちだってただの人間なんだ。汗もかけば、体も汚れるし、洗面所にだって行く。君は何を求めているんだ。バラ色のもやの中をあでやかに飛ぶ黄金の蝶々か?」

レイモンド・チャンドラー『ロング・グッドバイ』 村上春樹・訳 早川書房

現在の私のメインの投資活動は、投資信託の積み立て投資です。『Next 10 years 第二部 -  敗者のゲーム -』で書いたように、その目的は子供たちの教育資金、及び家内と私の引退後の生活費を準備することです。投資信託はアクティブ・インデックスの両タイプに積み立てています。アクティブに関しては、あまり結果やポートフォリオの中身は気にせず(ホントかよ?)、どちらかというと運用レポートを読むことのほうに興味をひかれています。

基本的には現在の日本レベルの資本・民主主義が保たれていれば(社会主義的資本主義とか揶揄されてはいますが)、長期で株式の投資信託を保有していると悪くない結果になるだろうと達観しているので、アクティブだろうとインデックスだろうと成績にそこまでこだわりはありません。

またそれとは別に、個別株投資もやっています。

こちらは自分自身のリベラルアーツを磨く触媒としての意味合いもあり(『次の10年に向けての雑文(1) ーカタリストとしての株式投資ー』)、そのために真剣にしっかり儲けて社会に価値をもたらす企業の株式を選定しています(いるつもりです、to be exact)。

それを突き詰めていくと、次の二つの疑問にぶち当たります。

  • なにが社会に付加価値を提供する力の源になっているのか
  • なぜ株価は長期的にみると、付加価値を提供できている企業の業績をフォローしていくのか・・・つまり企業の価値を冷徹に評価して株価が形成されるのか

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世の中には立派な志を持った人がいらっしゃり、そういう方々の一部が起業やマネジメントの才も有していて、立派なステートメントを掲げた会社を立ち上げたりしています。

素晴らしい。

ですが、そういった人々はごくごく少数です。本屋さんや図書館の棚を想像してみましょう。たとえば近代になってからの人類の人口は、すでに亡くなられた人々も含めると相当な数になると思いますが、立派な功績を遺した人物に関する書籍は、せいぜい3つか4つの棚があれば十分足ります。

もちろん本に書かれることもない名もなき立派な人物も相当数いることでしょう。ただし、上記の本として残される立派な方々も、その中身は相当盛られたものであるでしょうし、また一人に関して複数の書籍があって棚の多くの部分を占めているということもあると思われます。

要は、立派な人物なるものは滅多にいない。私が言うまでもないが。

なので本当に徳が高い人物が率いることによって社会にものすごい付加価値をあたえる企業、なんてものはほとんど存在しない・してこなかったと思う。

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では、なにが社会に付加価値をもたらしている原動力なのだろうか。

それは各企業で働く個人個人の下世話な欲望の積み重ねだと思う。

アイツよりよい評判を、給料を、よい住居を、よい服を、よい靴を、あの車を、バボラのナチュラルガットを、週末は港区(どこやねん)の店でディナーを、今夜もキャバクラに、ワールドシリーズのバックネット裏の席を、etc...

そしてDNA的に究極の願望・・・もっとヤりモテたい

ま、カトリックの十戒をはじめ、各宗教が「汝、するべからず」と言っている事柄の裏返しの品々ですね。一般市民レベルでは、それらの小品になりますが。

私はかつて医療機器の会社に勤めていました。たまに患者様の感謝の声を直で聞いて気合が入ることもありましたが、そんなものは3日も持ちません。私の頭の中は常に上記の事柄のような小品で占められており、それが働くモチベーションとなっていました(います、to be exact)。そうでなければ、誰が朝早くから電車に乗る?

大方の人々もそうだと思います。え? そうじゃない? ふーん😗

この一つ一つをとってみると非常に見苦しい欲望たちが、うまい具合に束ねられて、いい方向に向かうことができれば、持続して世の中に付加価値を与えられる力の源泉になるのだと思う。なにせこれらの欲望はモーセやブッダのころから幾年月、消えてなくなる気配はない。

そもそもそういう欲望を持つ傾向の人々が自然淘汰の結果生き残ってきているんだからしょうがない。

ここで大切になってくるのは2つ。

  • 各個人個人の下世話な欲望を育んで守れるレベルの資本・民主主義が保たれているか
  • Managementチームが、自身たちのものも含め、それらの小品をうまく誘導できるか

ですね。

***

つぎに株価。なぜ長期的には株価は価値を高めている企業をきちんと評価しているのだろうか。

これも金融機関ではたらく各従業員ならびに個人投資家各位の下世話な小品のなせる業だと思います。

株価は短期的には次のような要素に反応します。各主要国の政策金利、為替、月次や四半期の結果、新製品や技術の発表、戦争や天変地異、奇妙なことに株価の変動そのもの、それから今が旬の話題ですが選挙の結果、等々。

それらに反応して、指数よりも、隣席の同僚よりも、あの投資家よりもよい結果をたたき出し、がっぽり儲けたい。そしてよい評判を、給料を、よい住居を、よい服を・・・以下同上。

それらの仁義なき戦いの意図せざる結果として、株式に最適な価格がつけられていくのでしょう。

おもしろいですね。自然のエコ・システムみたいで、それぞれの生物がしのぎを削って生き延びようとする活動が利他の結果を導き、全体的に最適なバランスを維持しているのとよく似ています。

世の中に付加価値をもたらす良い企業に良い株価がもたらされるのは、決して良い企業の株式を買って応援して資本主義をあるべき姿にさせよう、という美しい大義名分のなせるワザではないのです。他人を蹴散らし自分さえよければいい(それは言い過ぎか・・・であれば他人よりちょっぴりいい思いをしたい)という我がままな行動の集大成なのです。

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つらつらと駄文を書きましたが、とどのつまりは

  • 投資先はLaw & Orderが機能している国・地域のものにすべし、個人の我がままが過度に抑制されているところは避けるべし
  • 大義名分をちらつかせる連中、美しいストーリーを語る人々には近寄るべからず
  • 好きな企業・社会貢献をしている立派な企業を応援!なんて“バラ色のもやの中をあでやかに飛ぶ黄金の蝶々”を追い求めるようなナイーブさは必要なし
  • 私が積み立てているアクティブ投資信託の運用会社は、さらに儲けに徹するべし
  • 私の投資先の企業は、さらに儲けに徹するべし

ということに尽きます。

では自らの我がままを確保するために・・・

選挙に行こう。

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