2021年4月7日水曜日

サードマンの収入明細(2021年3月)

我が家の3番目のProfit Center、サードマンの収入のアップデートです。なお配当履歴のページも更新しています。サードマンの由来はこちら



黄色は新規獲得、青は放出、紫は一部放出、緑は追加獲得


3月はプログレッシブ・ホールディングズ(PRG)を定期獲得枠で追加しました

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ムスメ(6歳)が小学校に通い始めたので、ムスコ(2.8歳)の保育園への登園は私と2人になりました。姉がハッピーだったら自分もハッピーなムスコで、これまでは姉の歩く後をおとなしくついて歩いていたのですが、一人になった途端、やれ神社に寄りたいだの、公園で遊ぶだの、抱っこしろだの様々な要求を出してくるようになり、保育園の門まで遠い道のりとなっております。こまったもんだ。

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その姉は小学校に入学したのですが、まだ全然慣れておらず、帰宅するとやたらとハイテンションだったり、夜中にしくしく泣きだしたりします。保育園の友達はみな別の小学校になってしまったし、学童とかもあるし、私もそうだったのですが・・・早生まれは、なかなかこの時期周囲についていくのが厳しいなあ。

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週休3日の議論が進んでいるようです。私のような年齢になってくると、正直体力的に週に3日は休まないとロクな仕事はできないと思うのですが、みんなどうなんだろ。それ以上働くと純粋に体力や能力、時間を無駄にすり減らしているだけだと思うのだが。

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NHKのBSで『アンヌと、へんな宇宙人たち』(別名『ウルトラセブン』)の放送が始まりましたね。毎週見ることにします。私が少年時代に感じたワクワク感(といっても、さすがに再放送でしたが)を、子供たちとシェアするのだ! 

けっして見目麗しきアンヌ隊員のお姿を毎週拝みたいからではないので、誤解無きよう宜しくお願いします。

【3月に読んだ本】


  
『ガラスの鍵』はハードボイルド小説の元祖ダシール・ハメットの代表作。なにぶん登場人物の直接的な心理描写が一切ないので、いささかとっつきにくい。ただその分、再読してみたいと思わせてくれます。

NVICの奥野さんから『先生、お金持ちになるにはどうしたらいいですか?』を贈っていただきました。15歳から学ぶお金の教養とありますが、私が15歳の時だったら読み通せただろうか。なにぶん好き嫌いが激しかったので、歴史や政治経済の授業でもデフレや金利、金融恐慌等々、当時興味がなかった単語が出てくるところは寝ていましたからね。

高校と大学に通う甥っ子たちに1冊ずつ送りました。どのような反応が返ってくるか、興味深いところではあります。


日本政府は、今後一〇年以内に、南満州鉄道の経営を米国人と共同で行わなかったことをきっと後悔することになるでしょう

鉄道王エドワード・ヘンリー・ハリマンが1906年9月に高橋是清に言ったセリフ(ニュアンス)、板谷敏彦 『日露戦争、資金調達の戦い』 新潮選書


しかし興味を持ってしまった身としては、戦時の資金調達のお話はもう堪らないほど面白い。

日露戦争、資金調達の戦い』を読んで:

  • イギリスの名誉革命・権利章典の意義
  • 20世紀初頭のマーチャント・バンクとは
  • ユダヤ人の旧約聖書の利息に関する例外規定
  • ノーザン・パシフィック事件(バフェットさんが鉄道会社に投資しているのは、純粋に損得だけでなく、米国の資本主義の歴史に対するオマージュがあるように思う)
  • 投資銀行の勃興
  • 資金調達のため渡航する高橋を送る会で、悲壮感の余り号泣した日本政府の重臣たち・・・ドンパチ始めたはいいけれど、か、か、か、カネがない
  • 工業化遅れで国内に資本形成がなかった当時のロシア
  • 陸軍は常にコストがかかる。大英帝国の繁栄の理由の一つは、欧州の他国と違い、祖国の陸軍常備兵力をミニマムに保てたため。日露戦後、日本は逆の道を歩む。Boots on the groundは覚悟が必要。
  • 当時の日露の人口比、国家予算比とGDP比は、すべてほぼ1:3。露の欧州方面の兵力負担を鑑みると、第二次大戦と違い日露戦争は無謀な計画ではなかった。
  • 大蔵省証券と日本公債の違い
  • 戦況、および露の国内騒乱と日露公債価格の推移
  • 二百三高地奪取(死傷率45.6%)の際には、すでに露の太平洋艦隊は機能不全な状態だった・・・その情報さえ、事前に入手していれば・・・
  • 両国共々の軍資金不足による講和
  • 露のウィッテによる巧妙なメディア対策

等々の知識を得ました。

それにしても、日露戦後、米国の資本が満鉄の経営に入っていれば随分と歴史は変わっていたことでしょう・・・当初は伊藤博文をはじめ、そのアイデアは確かに存在していたのだ(桂・ハリマン覚書)・・・。もちろん悲惨な戦いを目の当たりにした陸軍参謀児玉源太郎にとっては、そこはどうしても譲れなかっただろうし、国民感情を考えると外国資本の参加を許せば政府は持たなかったのでしょう。

当時の日本の株式市場の参加者はどのような人々だったのでしょうか。漱石の『吾輩は猫である』とかを読んでみると、けっこう一般庶民も株式投資していたみたいだけど、あれはたぶん戦後のバブルの時の描写だよな。

戦争中は、連戦連勝(実は露の戦術的撤退が多かった)に浮かれる新聞や人々をよそに株価は冷静に推移していたので、株式市場参加者はよっぽどの事情通だったか、それとも重税だったので庶民に参加するだけの原資がなかったのか・・・。

情報開示:この記事を書いている時点でPRG301株保有


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