2020年12月2日水曜日

サードマンの収入明細(2020年11月)

 我が家の3番目のProfit Center、サードマンの収入のアップデートです。なお配当履歴のページも更新しています。サードマンの由来はこちら


黄色は新規獲得、青は放出、紫は一部放出、緑は追加獲得

11月は第四四半期の定期獲得としてフロントドア(FTDR)を獲得しました。12月は大型トレードを予定しています。

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だんだん日が暮れるのが早くなってきました。11月はときおり温かい小春日和(インディアン・サマー)があるので、好きな月でもあります。

そんな暖かな週末に、家族で自転車に乗って世田谷区の砧公園まで自転車で行きました。二子多摩川から用賀あたりまでけっこうダラダラした上り坂があり、ムスコ(2.3歳)をのっけたベビーシート付自転車で登っていくのは結構きつかった。しかし師ポール・ウェイドの教えに従い、日ごろから地道にConvicted Conditioningにいそしんでいるので、なんとか足を付かずに乗りきったぞ。

でもなあ、前後に子供二人をのっけた、どこかの若々しいママが澄ました顔で漕いでいる電動自転車に、横をすいーっと抜かれてしまうのはさすがに忸怩たる思いがした。

きぬた焼き

普段の年であれば11月は近所の大学で開催される学園祭に行くのが楽しみだったのだけど、今年は中止です。来年はどうなっているのだろうか。

【今月読んだ本】


『1Q84』は再読で、先月からの続き。

読みながらふと考えたのですが・・・現在の『鬼滅の刃』フィーバーを、同作の原作者の方はどう受け止めておられるのだろうか。

もともと同作品がどのようにはじまったかわからないのですが、えーと、つまり原作者の人がほとんど創作したのか、あるていど編集者の方々と共同で考え始めたのか、私は全然知らないのですが、ある時点からもう原作者の手がまったく届かないところで、お金の匂いを嗅ぎつけた人々によってどんどん作品が変質していっているんじゃないか。

やつらはオニのような連中で、作品を大事にしない。使うだけ使い倒して儲けに走る。いずれ『鬼滅の刃』にみる成功の法則、なんて本を書いたりするぞ。

今の状況が原作者の方にとってキツイものでなければいいのだけど・・・。

憲法発布の当日と翌日は、街路に大小の日の丸が掲げられ、各町内から山車や踊りや屋台が繰り出し、炬火行進の学生、仮装行列の若い衆や芸妓衆などが大通りや皇居前広場を練り歩いた。「こっけいなことには、だれも憲法の内容をご存じないのだ」というベルツの評言(『ベルツの日記』八九年二月九日)は有名だが、「憲法祭」は決して“歴史の笑い話”ではすまなかった。日の丸・君が代・御真影・万歳という国民統合の「四点セット」がはじめて勢ぞろいした日であり、一八八〇年代にはまったく存在しなかった政治文化、すなわち民衆を大動員した近代的な国家祭典の登場を意味したからである。

牧原憲夫 『民権と憲法』 岩波新書 

シリーズ日本近代史の第2巻も読み応えありましたね。このころの国のリーダーたち(おもに薩長土肥出身)の並々ならぬ尽力は、もちろん素晴らしい功績をもたらしたのですが、一方でこんにちまで残る頭痛のタネもこのころに蒔かれています。

読んでいてフィリップ・マーロウがつぶやく、

There is no trap so deadly as the trap you set for yourself.

Raymond Chandler 『THE LONG GOODBYE』

という言葉がたびたび浮かんできましたね。

ひとつ例を挙げると、薩長出身者が軍の上層部を独占していることに不満を待つ反山県派の「四将軍」を追放した「陸軍紛議」の結果、軍隊や作戦を自主的に研究することは天皇陛下のご意向に反することとして許されなくなってしまったことがあります。さらには陸軍大学校で教官となったドイツ人メッケルは、

兵器より精神力を、論理より実戦を重視する戦術家だった。与えられた情報をもとに当面の作戦・戦闘を組み立てれば試験に合格できる戦術教育だけで、戦略的な構想力を養ったり、錯綜する情報のなかから重要なものを選びだし総合的に判断するような教育は行われなかった(黒野耐『参謀本部と陸軍大学校』)

とのことで、『失敗の本質』のタネはここまで遡っていけるようですな。このほかにも天皇制のありかたやら女性の理想像、神社と遊郭と開拓の関係等々、とても読み応えのある内容でした。

さて、次巻は、

千島のおくも おきなわも やしまのうちの まもりなり

と、『蛍の光』で歌い始めた日本が、日清・日露戦争に突入します。いやあ、あの歌、こんな続きがあったのですね。

情報開示:この記事を書いている時点でFTDR252株保有

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