フロントドア(FTDR)を追加で獲得しました。これは2020年のQ4の定期獲得枠でのアクションになります。
FTDRは長期的目線で米国の住宅需要の高まりを享受できる株式として期待しています(参考記事『令和の改新 その4 - 巨鯨現る -』)。
直近では、コロナ禍の巣ごもりによる需要増(なにやら家に閉じこもっていると、おウチのメンテナンスが必要な個所が目に付くらしい)でコストがかさみ、なおかつカスタマーサービスが需要増に追いついておらず、それに付け加えてElectric appliancesの部材の供給難とかがあってクレームが発生したりして、なかなか厳しい局面に立たされているようですが、ま、スピンオフしたばっかりなので、よい試練だと思う。
鉄は熱いうちに打て、だ。
これを乗り切ればより強い企業に成長していることでしょう。
さて、私はテツ分が不足している体質です。
活字を読むのは好きで、書籍に限らず大抵の雑誌や新聞等を読むのはまったく苦にならないのですが、どうしても拒否反応を起こしてしまう書物(印刷物)があります。
電子機器関連のマニュアルと、鉄道時刻表です。
以前は会社四季報も読まず嫌いリストに含まれていましたが、株式投資を始めてから克服することができました。マニュアル関連は必要に迫られた場合、最大限の努力をはらって最低限だけ読むことができます。
しかし鉄道時刻表だけは、ページを開いたとたんに貧血でめまいがしてしまうほど、私はテツ分不足です。こればっかりはホウレンソウやレバーをいくら食べても治りません。最近は時刻表アプリなる便利なものがあるので、もっぱらそれに頼っています。
幼少の頃は、宇宙戦艦ヤマト派だったし、ブルートレインよりスーパーカーだったし。あ、森雪よりはメーテルだったか・・・。
さて、先日の週末にワイルドワイフが大宮に住む彼女の友人宅へムスメ(5.7歳)を連れて遊びに行くことになったのですが、残されたムスコ(2.3歳)と何しようか・・・と思案していた時に、ふと以前『ブラタモリ』で観た鉄道博物館が大宮近郊だったことを思い出しました。
なお、当ブログは、ろくすけさんによる『ろくすけの長期投資の旅』ではございません。どなたさまもお乗り間違いのございませぬようお気を付けください。当ブログをご参考にされますのはとても危険ですので、白線の内側までお下がりください。
ラッキーだった。なにぶんテツ分不足の私は、「JR大宮駅よりニューシャトル」というサイトの案内文を見て、てっきりシャトルバスが運行されているものとばかり思っていた。少年に出会わなかったら大宮駅のロータリーを、ありもしないバスを求めて彷徨っていたところだったぞ。ありがとう、テツロウ。
10時ごろに鉄道博物館駅で降りて入館しようと思ったら、係員の方に「おもてのコンビニで11時からのチケットを購入してください」と言われてしう。テツ分不足の私は、鉄道博物館なんて、かつての南海ホークス対川崎ロッテ・オリオンズの大阪球場での消化試合並みに閑散としていて、いつでも気軽に入館できるものとばかり思っていたので、正直驚いた。
いきなり肘テツをくらわされた格好だ。
しかたがなくコンビニでチケットを買い、時間つぶしに散歩していたらKeePerラボの大宮店と出くわす。
ここのところ業績も株価も絶好調のようです。
***
入館。館内は家族連れを中心にけっこう賑わっています。でも心なしか、父と息子の二人だけの『子連れ狼』拝一刀・大五郎ペアが多めな気がする・・・ウチもそうだ。
最近はテツ分豊富な女性も増えてきているようですが、やはりテツの世界は、ヘミングウェイの『Men Without Women』という言葉が似合う気がする。うーん、昭和生まれのバイアスかなあ。
いきなり機関車のお出迎え。迫力ありますね。こんなんが黒煙をあげながら走っていたのか。
でもこれを目の当たりにしながらも、
と遠い目をして口ずさんでしまうしかできない私は、やはりテツ分が不足しているのであろう。それにしてもこの世に生を受けて約半世紀がたとうとしているが、いまだ私は出会っていないぞ。メーテル、いったいオレの「青いことり」はどこにいるんだ。
古い時代の列車(ほかに言いようがないのか)。床が板張り。
私が上京した1998年当時では、まだ世田谷線の一部の車両の床が板張りで、ニスの匂いがしていた記憶がある。いまはどうなんだろう。
でも武骨でいいですね、この車両。
実家の近くに鉄橋があり、子供のころ、遊んでいた河原から列車が通るたびに見上げていたのですが、その窓という窓から高校生の学ランの手がにょきっと出ていて、それらの手からは例外なく紫煙が漂っていたなあ。列車の色は当ブログと同じ緑と橙。
懐かしき昭和の風景だ。
ま、そういう客に応対せざるを得ない国鉄職員の態度もこれまた悪かった。私が就職した90年代前半はすでにJRだったけど、大阪環状線の改札では、当時まだ駅員が切符を切っていて、あいつらの態度のでかさといったら思い出しただけで頭にくる。
忌まわしき昭和・平成の記憶だ。
博物館には資料室も多々あり、また陳列物のわきには解説がいろいろ書いてあるのだが、走り回るムスコの対応に追われ、ほとんど読むことが出来ず。というわけでテツ学は習得できなかったので、上の写真の列車も、いったいいつの時代のナニモノなのかは知らない。
結局ムスコと私は、駅弁を平らげるのと、外の遊具で遊ぶのと、ジオラマ見学に大半の時間を費やして、おしまい。
テツ分は充分に補充できなかったのでした。
情報開示:この記事を書いている時点でFTDR252株、血液中にテツ分2,500㎎程度保有。
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